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名前 コメント
ユキヤ

2004/10/02 09:04

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Re:
すみません。変な文章で(^o^;ただの半狂乱の男の独り言と思ってスルーして下さい★それでは今日もバスの為に頑張ってまいりまする(>_<)大変失礼致しました。すみません。

おお馬鹿者

2004/10/02 09:44

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Re :
ユキヤさんへ。
ユキヤさんのおっしゃっている行動っていうのは、大事な事だと思いますよ。外野でワイワイ騒いでいても、行政は取り上げてくれませんから。今は待つ時期じゃないと思いますね。署名でもなんでもいいから、少しでも動く時期でしょう。
「バス擁護論」だけ声高に叫んで、何も行動しないようでは、ただの偽善者としか思えませんから。「誰か何とかしてくれるだろう。コッチは忙しいから後はたのむよ」って考えている雑誌に出ている著名人って、意外と多い気がします(雑誌読んでたら、だいたいわかる)。


ふぁいなるあんさー

2004/10/02 10:56

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Re:
皆様、バス釣りを健全なスポーツとして捕らえてその認識を広めようと努力してて偉いですね
話が逸れるかもしれませんが、法律は本来公平性が問われるもので、漁協が食いっぱぐれてるからバス退治の補助金くれてやるべーつり人は文句も言わないから犠牲だべーなんていう法律は作れないんですね
で、細々した条文でいろいろなケースに対応して公平性を保とうとするんですが、本法は本当に公平なところに落ち着くか疑問です
経緯からして、水産庁の漁民養護に、後付けの公平性の切り札として、共有財産たる自然環境の保護や保全がくっついて環境省が便乗した形なだけに、内容が心配です。
経済影響もありますので懸念大です


某ルアーマン

2004/10/02 17:52

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バザーとして、あらためてモノ申させて下さい
■問題提起
 あえて、お名前は申しませんが、ここのコラムでバス問題を、バスとバザーに分けて考える必要があるとの意見が出されました。おっしゃることは分かります。しかし、この後者のバザー「人間」の問題については、私の読解力不足からか、真意が読み取れませんでしたので、そのことについて、意見させて戴きます。

■バザーについて
 私はバスよりも、むしろバザー:バスに関わる人間達 これこそが、最大の問題と思うのです。今、バスという魚ばかりが全面的に出てしまい、その魚の背景にいる、この「人間」 については、あまり論じられてないと思うからです。

■バザーの定義
 バスに関わる人たちも、釣りをする人から、放流する人、バスに関わって生計を立てている人 たくさんいると思います。中には上記に関し、複数リンクされている方もいるとは思いますが、この中で特に問題となるのは、この放流する人の行為だと思います。

■バザーの問題点とは〜私なりに考えた本質〜
 バスが、この世の中に蔓延している最大の要因は、この放流にあることは、間違い無しと思います。もしも、バスが存在悪と仮定出来るのなら、まさしく、この『放流』こそが、バス問題の最大の問題点として、バス駆逐などよりも最優先で、取り上げるべきだと思うのです。
 例えば、違法放流に対する罰則の強化、学校、市民広報等での啓蒙活動、そして、特に大事と思うのは、この魚で生計を立てている釣具業界及びマスコミ業界自身の、モラルの確立ではないでしょうか。企業だからといって、この反社会的な行動を黙認?し続けて良いのでしょうか?

■バザーとしての、私の個人的な意見
 バスは存在悪と思います。よって安易なリリースはしておりません。また、バスの違法放流も断固反対です。
 ここで、認識しなければならないことは、だからと言って、ルアーフィッシングという行為自体の否定には、つながらないということです。魚の存在と、釣るという行為は、まったく別だと思います。後者はどちらかというと、マナー等の問題に関わってくると思われます。
 ※バスにも申し訳ないのですが、彼らは日本在来の魚等を食害し、その生態系を著しく乱していることは、私の目で見ても、もはや疑う余地は無いと思うのです。違法放流された魚を釣る以上、結果として、かれら放流者に加担してバスを増やしてしまうということは、我慢出来かねます。
 
■最後に
 前のスレでも申しましたが、もしも皆さんが、バスを本気で擁護される覚悟がおありならば、単に、バスが可愛いそしてバスを守りたい、ではなく、何故そう思うのか、何故そうしたいのか、その理由(是非は別として)を明確にしなければ、そしていざという時に意思表示出来なければ、周囲(社会)の同意は得られないと思います。いつまでたっても、「バザー達は、自分の趣味のために、日本の生態系を壊してまで、バスを増やして釣りをしている問題のある人達だ」という偏見等を、断ち切ることは出来ないのではないでしょうか。(過激な発言お許し願います)

 〜いつの日か、全国のあらゆる池等で、めだか、ふな、海老等が復活して、誰もがたくさんの生き物と接することの出来る、つまり、特定の魚種だけが、幅を利かすようなことはなくなっている、そして、私の少年時代のように、ハス、ウグイ、ニゴイ等がルアーでたくさん釣れる、そういう時代が復活することを、祈ってます〜 長文失礼しました。

はぜ

2004/10/02 19:15

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Re :
某ルアーマンさん>
バスが例えば許可されて放流されたとしても、食害を起こす可能性は変わらないですよね。琵琶湖からアユが出荷される際の事故としてその水域に入ったとしてもです。バスの害魚性は変わらないわけです。
一方、バスを違法放流するという行為はそれ単体で紛れも無い犯罪です。ついでに言えば、心無いバサーの不法侵入、器物破損、不法投棄等も立派な犯罪です。
バスの害だけを語るのなら、違法放流によって全国に広がったという経緯は関係がないわけです。ここをあえて結びつけ「犯罪によって広まった魚=悪」という観点でバスのことを語る傾向が見られます。このことがバスという魚を冷静に客観的に評価する際の妨げになっていると考え「バス問題とバサー問題は分けて考えるべき」と発言いたしました。言葉が足りなくてすいません。
バスの害魚性だけを語るなら極端な話し、そこら辺の野池にはいたってかまわないわけです。野池は人の手が作り出し、管理し、いる魚はほぼ例外なく人の手で放流されたものです。そこにいる魚が減ったとしても、大きな意味での日本の在来環境を破壊したとはいえないわけです。
しかし、野池の管理者に聞くと大概バスの存在を嫌っています。場合によっては水抜きで駆除されてしまいます。なぜでしょうか。聞くと二つ理由があるようです。自分の知らないうちに放流された。気に入らん。これがまず一点。もう一つは、マナーの無いバサーがごみを散らかしてゆく。
さて、ここにバスの害魚性が何にも関わっていないことがお分かりでしょう。例えばその野池にバスが放流される際、管理者の方に一言断りがあり、その後来るバサーがマナーの良い連中ばかりだったら。野池の管理者はわざわざバスを駆除しようとは夢にも思わないでしょう。
しかしながら、その野池が水路で希少在来種が生息する水域に繋がっていたとすればどうでしょうか。やはりそこには問題が生じると思います。こちらはバスの害魚性に深く関わる問題で、水路からバスが流出した場合希少在来種にどの程度の影響があるか調べてから、場合によってはバスの徹底駆除を検討すべきだと思います。
現在一般市民レベルで語られているバス問題のほとんどは実はバサー問題だと思います(イメージとして「バスが入ると何もかも食い尽くされちまう」というのはある)。この結果、バスという生き物への評価が疎かになり、バスが日本の環境と共存できるか否かという議論が十分に尽くされてこなかった気がするのです。ですから、僕はまずバス問題とバサー問題を分け、バスという生物をもっと良く研究し、共存の道を探れないか考えるべきだと思います。そうしなければバスという魚が一般市民に受け入れられることは無いでしょう。

ちなみに、バスの駆除を学校で手伝わせると言う話がありましたが、げんなりしました。「生命に貴賎なし」と教えるのが教育の本来ではないでしょうか。殺しても良い生き物がいるということを教え込み、害があれば殺しても良いと教え込む・・・。どんな人間が出来上がるか見てみたいものです。

某ルアーマン

2004/10/02 20:18

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Re :
 はぜさんのおっしゃっておられるように、確かに、バス=違法放流された魚=存在悪という、明らかに誤っていると思われる観点は、問題と思います。私も同意見です。しかし、合法、違法の放流関係無しに、私にとって、バスの存在自体が容認出来ないのです。

 貴職のご発言は、ある大事な問題を提起して下さったと感じました。それは、「バスは何故害魚なのか?」ということについて、十分なコンセンサスが得られていないのでは、ということです。確かに、その価値観が違うと、このバス害魚論自体、意味を成さなくなると思います。

 私は、その答えは、十人十色だと思います。例えば、漁師にとっては、売り物の獲物を食害してしまうから、また、見識層にとっては、学術的にも貴重な生物を絶やしてしまうから、など、勝手な想像ですが、様々な価値観に基づいていると思います。では、とるに足らないような、野池において、バスによって他の動物が食害されることは、人間にとっても、果たしてどうでもいいことなのでしょうか?これについても、人それぞれでしょう。

 人間は、自分の身に直接降りかかる、経済的等を含め、あらゆる物事に敏感だと思います。しかし、己に直接関係ないと思われることについては、無関心になりやすいことも理解出来ます。しかし、それは当然のこととして、否定出来るはずもないでしょう。

 しかし、正直言って、私は、日本中の全ての水中において、バスのために、たくさんの、本当は生きていて当然だった生物達が、食べられていなくなってしまうことが、バスが釣れないということよりも、心底耐えられなくなっているのです。
 机上の感傷ではありません。少なくとも、私の身近な野池等では、ことごとくやられているというのが実情なのです。

 どうか、分かって下さい。ほほう、このようなアングラーもいるんだなあと、さりげなく思って下されば、幸いに存じます。

はぜ

2004/10/02 20:46

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Re :
重要なことは、喰われてしまう生き物もバスも等しく生き物だということです。バスに喰われる方も喰われるために生きているのではないのでしょうが、バスも喰わなければ生きていけないのです。
であれば、バスと既にそこにいた生物との間には差がないということになります。単にバスは後から入って来たに過ぎません。バスの移入によって既存の動物が減少する。それは避けられないことですが、これは移入(合法的なものと仮定します)する以上仕方が無いことです。バスが悪いわけではありません。既存の生き物を減らしてしまうことをもってバスを害魚とすることは出来ないのです。
バスが真に害魚となるケースは、バスがいるためにある生き物が絶滅してしまう場合に限られます。もしくは経済学的な意味で、バスによってもたらされる経済的なメリットをデメリットが上回る場合です。
ちなみに、今回の法案がバスが害魚であるから発案されたわけではないこともこれではっきりします。あれは単に、バスが外来種であることが問題視されているに過ぎません。
既存種の数をまったく減らさずにバスと共存することは不可能です。しかし、既存種の減少をあれ程度許容すれば、バスとの共存は不可能ではないと考えます。
なぜ、バスのために既存種が犠牲を払わないといけないのかとおっしゃられるかもしれません。答えは、バスも生き物だからであるとしか言えません。現実に生きているのです。バス(何億匹いるのかは知りませんが)の屍の上に既存種の数を増やすのとどちらが良いのかという問題になります。
バスも生命だということを認識すれば、僕にはバスを徹底駆除してまで既存種を保護する論理的正当性は見出せません。


某ルアーマン

2004/10/09 20:51

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人間としてのモラルとは
 時期的に、少し遅れましたが、あらためて書き込みさせて戴きます。もう時期を逃してしまったような感がありますが(笑)。

 確かにバスも生き物です。そういう意味では、決して邪険に扱ってはいけないと思います。しかし、バスは害魚と言わざるを得ません。特に、それは人間にとってだけではなく、他の生物にとってもという点について、もっと考えるべきと思うのです。
 当バス擁護論者の方は、バスが真に害魚になるケースについて、実例を挙げておっしゃってますが、それはあくまで人間のエゴイズムに立った意見と思われても、仕方が無いかも知れないと思うのです。(大変失礼な言い方になってすみませんが、個人的な中傷では無いとお考え願います)

 その理由を言いますと、人間にとって、まったく取るに足らない存在と思われる、古来から生きて来た雑魚さん及び他の甲殻類、両生類、その他諸々さん達の生存権を守ってあげるのも、食物連鎖において最優位に立つ、人間の義務だと思うからです。それが、人間としての最低限のモラルだとも思っております。

 行政を巻き込んでのバス害悪論についても、何も外来種だからという理由だけではないはずです。あまりくどくど言いたくはないのですが、日本古来から人間と共存してきた生き物達が、単なる趣味のために人間が増やしてきた新たな魚達のために、脅かされるのは、倫理的に間違っていると思います。

 私はバザーの存在は決して否定しません。なぜならば、私もバザーだという自覚があるからです。バスを否定することイコール バザーを否定することにはならないということは、私の今までの文章でもお解かり頂けると思います。
 これからも、バスの問題については、バザーとして、バスとバザーの問題に分けて考えていきたいと思います。

はぜ

2004/10/10 19:10

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Re :
前述しましたが、在来種を食うことを理由にバスを害魚であると認定することは出来ないのです。魚食性の魚は岩魚や鯉など在来種の中にも例があり、これらの魚がその魚食性を理由に排斥されたことはありません。また、魚を食うのはなにも魚だけではなく、鳥や獣もまた魚を食います。バスだけが特別なわけではありません。単にバスが大正時代に移入され、近年拡散したため、目立つだけです。
バスの移入によって在来種は減少しましたが、これはバスが害魚だからではなく、バスが魚食性の魚であったために捕食対象になった魚が減少したに過ぎません。これは、不可抗力であって、バスの害魚性を立証することにはならないのです。
趣味のために移入された魚によって在来環境が脅かされることを問題視されていますが「趣味のため」で無ければよいのか?という問題があります。バスという魚の本質を語るとき、バスフィッシングの対象魚であることは一つの要素に過ぎません。例えば、バスの養殖で生計を立てている人にとっては、鯉やヘラのほうが趣味のための魚に見えるでしょう。また、バサーにとってはオイカワなどは単なるバスの餌にしか見えていないこともお分かりいただけるかと思います。見方の違いだとおもいます。
バスの駆除によって在来環境を取り戻した水域と、バスと喰ったり喰われたりという関係が構築された水域とのどちらが豊かな水域だと思えるでしょうか?生き物を駆除して他の生き物を守るというゆがんだ発想を思う時、僕は後者こそ自然な姿だと思えてなりません。また、近年の自然破壊を見るにつけ、バスを駆除する前にもっと他にやることがあるのではないかとも思えます。
バスの移入以前の状況を懐かしむのは、極論すれば郷愁に過ぎません。バスが現状いない水域を守り、希少在来種を保護し、やむをえない場合にバスを限定的に駆除する。それがすでにバスが日本に定着した状態である現在、我々に出来ることの全てではないかと思えます。
どうも頭痛のため(風邪引いた)考えがまとまらないのでこれくらいにします。乱文スイマセン。


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